『この空の花』の「私たち、戦争なんて関係ないのに」について

↑のツイートを見たときに、ふと色々と湧き上がったので、独り言を。
映画『この空の花』の冒頭、予告でも印象的に取り上げられている松雪泰子演ずる玲子の「私たち、戦争なんて関係ないのに」という言葉について。

この部分に関する映画のネタバレと、私の推測(妄想)を大きく含みます。映画は2週間前に一度見たきりなので(感想→ http://d.hatena.ne.jp/shanimu/20120627 )、覚え間違い、見間違い、見落とし等たくさんあると思います。シネマート心斎橋と十三のシネマセブンで、再度見る予定です。
「私たち、戦争なんて関係ないのに」という印象的な捨て台詞の謎が劇中で明らかにされたとき、私は大きく共感して、納得して、と同時にとても悲しくなり、違和感も覚えた。
健一の何気ない言葉(プロポーズ?)、「俺たちもそろそろ子供を作ろう」(だっけ?うろ覚え)に、なぜ玲子が逃げ出さなければならなかったのか。
玲子は被爆二世だった。玲子の母は13歳のときに長崎で原爆を経験し、彼女はその影響が自分の子供に受け継がれることを恐れて、「私たち、戦争なんて関係ないのに」という、健一にとってはまったく意味不明な言葉を残して、逃げ出してしまったらしい。
なるほど。
私の祖父は、原爆投下の翌日に長崎に入り、二次被曝したそうだ。母は昭和24年生まれだから、被曝三世ってことになるのかしら(被爆と被曝、どちらを使うのか、非常に微妙なところなので、迷いながら打っていますが)。
だから、共感した。中学のときに、私が体調を悪くして(たいしたことはなかったのだが)、その時、母が医者に「祖父が長崎で被曝したことと関係あるでしょうか」と言い、まさにそのまま「えー!!そんなん関係ないやん!」と内心叫んだ記憶は、いまだ強く残っている。そして心の内でよくわからない恐怖も感じたことも。
だが、玲子の場合は、なぜ18年前(1993年頃)に、戦後50年近くもたって、被爆二世だからと言って、子供を産むことを躊躇し、何もかも捨てて恋人から逃げ出さなければならなかったんだろうか? 実際、物理的なリスクは、(おそらく戦後すぐに予想されていたものとはかけ離れて)小さいはずだし、そのことは世間的に広く事実として流布されているはずだ。玲子の母は体が弱いけれども、玲子自身は元気に立派に育ったというやりとりが劇中でもなされている。むしろ、被爆二世だからといって、婚姻などで差別するのは良くないことだ、という風潮の方があるだろうと。だから、彼女が思わず逃げ出してしまうほど、そのことを気に病んでいたのだとしたら……。
冒頭のツイートを読んだときに、思い浮かんだのが、「私たち、戦争なんて関係ないのに」だった。
正しく怖がることは難しい。でも、わずかばかり存在するかもしれないリスクを、必要以上に喧伝し続けることが、どういう害悪につながるのか。被爆者の子孫たちは、小なりとはいえ、漠然とした恐怖のかけらと共に生きてきた。その血は、私たち自身が生まれたときから身の内に流れているものであって、生きている限り切り離せないものだ。そんな私たちも子供を産むだろうし(私個人がどうかはともかくとして)、その子供たちにもその血は受け継がれる。知識として受け継がれる限り、永遠に、呪いのように、末代まで。血の中にどのぐらい、あの時の一閃の影響が残っているのかなど、知りようがないのに。そのあるかないかのリスクが怖いから、「産むな」とでも言われるのだとしたら、私は怒る。怒っていいと思う。リスクはあるかもしれない(普通の出産にだってリスクはあるんだし、私は自分のリスクをとても低いと感じていて、実際には気にしていないけれども)、その恐怖も込みで、私たちは生きている。外からやいやい言われて、必要以上に煽られて、生まれるはずだったものを、生まれる前に、殺したいのかと。
だから、玲子が逃げ出した理由が、悲しかった。あって欲しくないことだし、あってはならないことだと思うから。
ところで、私が違和感を覚えたのは、玲子の母の年齢だ。玲子の母は13歳で被曝しているので、1932年生まれだと思われる。玲子は、教員になる前の健一と別れたのが18年前だから、ざっくり40歳前後。1971年頃の生まれだ。とすると、玲子の母は、玲子を40歳前後で産んだことになる。玲子には兄弟がいなさそうだ。昭和40年代で40歳前後で初産となると、相当の高齢出産だ(30歳越えたらマル高と言われた時代だ)。なぜ、こんな年齢設定を選んだのだろう?ある程度の年齢でないと、被爆を語れないからというのであれば、もう少し年齢を上げて三世にしてしまえばいいのだが、三世だと玲子が逃げ出す動機となる心理的影響が薄すぎると考えたのだろうか? 製作者の意図はわからないけれども、でも、なぜ玲子の母が40歳で子供を産んだのだろうと考えてみると、やはり葛藤のドラマがあったんだろうなあと想像(妄想)してしまうのだった。被曝の偏見と差別を乗り越え、後遺症も乗り越え、玲子が逃げ出してしまったリスクへの恐怖も乗り越え、「玲子」という命が生まれた。そういうドラマがあったんじゃないかなあと。
玲子の母が産みたくても産めなかったかも知れない子供たち。玲子があのまま健一と結婚していたら生まれていたかもしれない子供たち。描かれていないだけで、このドラマの裏には「生まれなかった子供たち」がたくさん存在するのではないか、という推測。
私は、「逃げ出した玲子」が、被爆者の子孫に対する差別を肯定・煽るものではないと思っている。むしろ、「私たち、戦争なんて関係ないのに」逃げ出してしまった玲子の悲しみを描いているのだと。そして、実は戦争は、決して関係ないことはなくて、その呪いはまだまだ続いているということ。そしてこれからも同じことが起こりうるということ。でも、私たちにはその呪いを克服できるし、しなければならないということも。

そして、今は、原発の被害にあった方が、リスクへの恐怖を乗り越えられることを、強く願ってもいる。思い込みや、差別はとても怖いものだ。物理的なリスクよりも、ずっと確実に人を殺せる。危険を過度に喧伝することの害は、(放射能ではなく)ストレスで頭髪が抜けるということではない。何十年先の未来に、未来から逃げる人がいたり、自分や家族の病気や何かを自分の過去のせいにせざるを得ない人が出てくる、ということだ。心無いその一瞬の一言が、どれだけ長く深く、世代を超えて、人を傷つけるのか。それを、玲子を見て、知ってもらいたい。
ところで、ツイッターで何人かが呟いていたけど、長岡に芋掘りトライアスリートがいるのは、新潟県だからじゃないのかな? 新潟といえば、佐渡トライアスロンがとても盛んな場所だから。トライアスリートが出てきたとき、私は「新潟だからか、なるほど」と思ったのだよね。