『ニーチェの馬』

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ニーチェの馬』。
本当にすごい映画を見た。見た、というよりも体験したという言葉がふさわしい。
私はニーチェだの聖書だの全く知らない。だから的外れかもしれないが、そんな言葉など要らない、生の経験や感情や感覚が「映画」で表現共有できるんだと。考えるな、感じろ、という映画。
映画館で見ないと意味がない映画。
十三の第七藝術劇場で見ることが出来てよかった。ここの闇は、他の映画館よりも深い。
見る方は以下の粗筋(?)なんて見ずに見たほうがいい。ただ、退屈だし、眠いし、「感覚」の映画だけに、合う合わないが大きいと思う。
でも、映画館で見る機会は、今を逃して多分ない。家でテレビで見ても意味がない。映画館で体験するなら、今だと思うから。
http://d.hatena.ne.jp/fripp-m/20120327/p1 ←の紹介が素晴らしい。「芋が……。芋が……」
いつもの通り、今日は映画を見に行こうと思い立ち、その日の朝、なんとなくタイトルと星の数だけ見て、行くのを決めた。
監督の名前も全然知らない人。予備知識は全くなし。アマゾンで検索したら、関連商品はずらりとタルコフスキー。これは絶対に眠い映画だろうと思ったら、実際眠かった。全部で6日間の物語(?)中、1日目後半から2日目の中盤(訪問者が金を置いて去る辺りまで)寝てしまった。
でも見入ってしまえば、何も起こらないのに、ひたすら何もかもが不気味で不吉で、空虚。全編をとてつもない緊張感が貫いている。
冒頭は荷馬車を駆る男の映像、延々と長まわし。音楽は弦楽器の、何ともいえない暗い曲。全編で流れるBGMは、多分これ1曲だけ。登場人物は男とその娘。右手を使えない男にズボンをはかせたり、着替えを手伝う娘の姿は先日見た相米慎二『魚影の群れ』を思わせる。父一人、娘一人の暮らしぶりは確かによく似ているが、『魚影』全体に通底するしぶとさがあるようでないが、ただ確実に「生きている」という「事実」が語られている感じ。
石積みの一軒家、食事は常にじゃがいも1個(世界三大じゃがいも映画の一つだと思う)、納屋と、馬と馬小屋、井戸だけの暮らし。
外は荒野。常に荒れ狂う暴風。本当に暴風。半端ない風と土埃、枯葉。ひたすら吹き続ける。まさに暴風世界。
日々は単調に繰り返す。6日間。訪問者はあるものの、どれもどこかしら不吉さが漂っている。
そして、世界から少しずつ大切なものが欠けていく。
そのかわり満ちていくのは絶望。
ただしんしんと。