映画『この空の花―長岡花火物語』

すばらしかった。
http://konosoranohana.jp/

きっかけは、『ニーチェの馬』と『この空の花』、どちらも約160分の映画なのに、片や30カット、片や三千カット、100倍のカット数の差!というようなツイートを見たことだった。大林宣彦作品はほとんど見たことがなくて、たぶんきちんと身を入れてみたのは『青春デンデケデケ』ぐらい(原作が好きだったから)。でも、長岡と東京でしか上映されないとか。えー!とか言っていたら、上映拡大したようで、大阪での皮切りは布施ラインシネマ。布施。遠い。行ったことない。7月14日にはシネマート心斎橋にも来るらしいけど、『この空の花』には何かただならぬ雰囲気を感じるので、近鉄に乗って布施まで行ってきた。
……凄かった。凄い凄いとは聞いていたけど、想像を絶する映画だった。
多言すぎるとは聞いていたけど、『ニーチェの馬』と、先週京都で見た『裸の島』を足して、さらに千倍の言葉を発する映画だった。
監督の砕いた何万の脳細胞が観客周囲ぶちまけて、それら全てがまっすぐに客一人ひとりを見つめながら、それぞれに勝手な言葉をギャーギャー語りかける(もちろん分かる言葉で、生の思いを!)ような映画だった。脳細胞の一つ一つに蓄積された生の感情や体験や記憶を、それぞれの言葉で、それぞれの主観で、観客に投げかけ続ける。せりふ(語尾を切り上げて次のせりふに繋げてしまうぐらいの凄絶な勢い)で、すさまじく量の多いテロップで、表情で、変なCGで、音楽で。ものすごい情報量に圧倒された。
ニーチェの馬』が無言と闇で映画と現実を隔てるスクリーンを取り払い、観客のいる現実世界をも、フィクションの中の滅びに取り込んでしまうのとはまた違う。『ニーチェの馬』がブラックホールのように虚無に観客を吸い込む映画なら、『この空の花』は生の太陽のように、圧倒的な熱線で観客を焼ききるような映画。
あらすじだけを見ていた当初は、イデオロギー的なことが鼻につくのでは、と危惧していたこともあった。結果としては杞憂だった。戦争や震災や原発事故などの、デリケートな問題をストレートに扱う作品だけに、気に障ってちりちりすることは多かった。でも、この映画は、あまりにもあからさまに監督の生の脳味噌の表象で、そこにあるのは、魂の絶叫だ。主観であるのは当たり前なんだから、認識や意見が違うのは、当たり前。むしろストレートな表現が、「ああ、そう思ってるんだなあ」と受け止められて、好ましかった。とても正直で。
これがどういうお話なのかがわかってからは、ことあるごとに涙がこぼれて困った。一輪車少女「花」の言葉の一つ一つが愛おしくて。本当にいい映画だ……。
ドラマは2011年8月の長岡花火が中心だ。製作自体は2010年から始まっていたそうで、2011年3月11日の東日本大震災を受けて、大幅に脚本が変わったらしい。3月から作り始めたんだとしたら、一体何ヶ月で作ったんだ!?と思ったけど、さすがにそういうわけではなかったようだ。そりゃそうか。でも、このタイミングで撮って、見せて、伝えたかった!震災以降、創作者は様々なものを世に送ってきたんだろうけど、大林宣彦のこの形は!本当にすごい!ほかにもこんなにもすごい「メッセージ」を送り出した人がいるんだろうか?
そして、その改稿部分がまたいい……。
「あなたに会いたかった!知らない人だもん!」彼女が死んでいたから出会えた彼。彼も震災があったから長岡にやってきた。戦争や震災がなければ、二人それぞれにもっともっともっともっと(特に彼女には)たくさんの別の可能性があったはず。でも、「今」が「今」だから二人は出会った。彼女の初恋の相手は彼でなくてもよかったのかもしれない。そして、出会ってしまったからこそ訪れる「失 恋」と別れ。「失 恋したかったんだ!」ってことは、恋する可能性すら奪われてしまった彼女のせいいっぱいの抵抗(今思い出し泣き中)。この落ちがあるから、大人恋愛パートも、あれはあれで、という気持ちになるのであった。
これから順次全国で上映予定。
今年は本当に見るべき映画がたくさんあるけど、絶対に見るべき映画。本当にすばらしかった。