映画『ザ・ロード』

http://www.theroad-movie.jp/index.html
ガーデンシネマ、開場30分前で整理券は14番。4割ぐらいの入りかな。

ザ・ロード
ザ・ロード
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コーマック・マッカーシー
早川書房
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おすすめ度の平均: 4.0
5 火を運ぶもの
3 キリスト教的世界観への違和感
3 とてつもない名作というわけでは...
5 先入観なしに
5 映画がたのしみ
ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)
コーマック・マッカーシー
早川書房
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おすすめ度の平均: 4.5
3 子連れ狼・・・・・・。
5 息子をもつお父さん、必読! でも決して読みやすくはないです。
4 すべてが終わったあとに
5 「文学」の醍醐味
5 つらくても最後まで読もう
映画自体は、すさまじくシンプル。
ほとんどの動植物が死に絶え、わずかに生き残った人々が食料を求めてさまようだけの世界で、災厄直後に生まれた少年とその父親が、ひたすら「海」を「南」をめざすというもの。
災厄後に残された人々の物語というと、例えば、ディッシュ『人類皆殺し』
人類皆殺し (ハヤカワ文庫)
トマス・M.ディッシュ
早川書房
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おすすめ度の平均: 4.0
4 情け容赦なし
4 "人類"皆"殺し"
コニイ『冬の子供たち』とか、
冬の子供たち (1980年) (サンリオSF文庫)
関口 幸男 マイクル・コニイ
サンリオ
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ジュブナイルですら、ロバート・スウィンデルズ『弟を地に埋めて』とか。
弟を地に埋めて (Best choice)
ロバート・スウィンデルズ
福武書店
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おすすめ度の平均: 4.0
4 とある戦争
http://www.hico.jp/sakuhinn/1a/otoutowo.htm
これはあまり感心しなかった記憶だけがあるけど(人肉食いが「パープル」と呼ばれていることと)、これが一番近いかもしれない。
破滅後の世界ものは結構好きなので色々読んだような気がするけれども、それらのどれよりもずっとシンプルでひねりがなく、ありふれていて淡々としている。ただひたすら親子だけを追い続けるお話。もちろん世界の謎なんかにも無関心で、神もいなければ(おおよそキリスト教的なしぐさやせりふは見当たらなかった。意図的に排除されている。サノバビッチはあってもジーザスとかあったのかな? 祈る先は「People」だ)、奇跡も起こらない。
上記の小説のように人間関係のごちゃごちゃや、かりそめの希望でひっぱったりすることもなく(カニバリズムはこの手の小説の定番だから勿論アリだけど)、その場しのぎのサバイバルの連続。それはそれで退屈することはなく、ひやひやどきどきの連続で、結構えげつない描写もある。二人だけの旅をただそれだけ、濃密に2時間見せることに成功してはいると思う。
あと、ヴィゴ・モーテンセンの全裸見せすぎ!! 他にも全裸有り。
しかしまあ、見終わった後はものすごーーーーーーーーーーーくもやもやした。後味が異様に悪かった。
以下ねたばれ。

一言で言うと、「共依 存」的なものを、この映画からは感じ取ってしまったのでした。そう気付いてしまうと、いやあもう『自虐の 詩』(漫画しか知らない)並みに非常に良くできた「共依 存もの」なんじゃなかろうか。
別に世紀末モノの主人公として、ヒーローを描かなくてもいい。ろくでもない父親でも全然かまわないし、それに関しては非常によく描けていて、大変すばらしい映画だった。しかし後味が悪い。
それまでにも何度かもやっと感じるシーンは沢山あったけど、一番もやっとしたのはラストだ。父の遺体のそばで、知らない男とであった少年が男とその家族?と共に新たに歩き始めるという、一見、一筋の希望を感じさせるラストシーンで強烈に、「これはないだろう!?」と思った。
道行の人々を誰も信じることができなかった父。それに対して、息子は度々「お腹がすいているんだよ、食料を上げようよ」と訴えるけれども、あくまでも父は人を受け入れることがなかった。
でもふーん、息子は案外簡単に受け入れちゃうんだと。そこに強烈に違和感を感じた。そりゃまあ、爺さんや黒人に缶詰を恵んだりもしたけれども、それまでの葬送からの「父の遺志を継いで……」というような心理状態から、あまりにもかけ離れすぎているように思えたから。頑なになってしまった父のココロが、あまりにも置き去りに見えたから。
それを乗り越えて、せめて他人を信じられるようになるまでに、ワンクッションの葛藤が欲しかった。そうでなければ、あまりにも父が軽い。これはヒドイ。
あのラストが「一筋の希望」だったとすると、……父ちゃんがいなかった(死んじゃった)方がこの子上手くやっていけたんじゃなかろか?という事実に気づいてしまうことになる。結構父に感情移入もさせられていたので、釈然としない気持ちが残ってしまった。
ただ、よくよく考えると、この父というのがあまりろくな人でもなかったなあと思えてきた。
多分、ものすごく臆病な人だったのだ。そう気付くと色々納得がいった。もちろん、あの状況ではそうならざるを得なかったのだろうということも含めて、それはそれで全然いい。何も映画の主人公が必ず勇敢でなければならないことはない。
臆病だったから、失われた世界の「善」という価値観にすがりつき、「おのれは善なるもの」であると信じることに執着した。人殺しも出来なかったし、最初に自ら息子とともに死ぬことも選択できなかった。
生きるために、ただ「息子を守る己」という地位に自らを見出した。息子が死んだら己も死ぬと言いながら、己が死ぬときは息子を残した。
終盤、足を怪我した父親が、大八車を「これ以上は引けない」として手放す。息子が引いていこうというそぶりを見せるものの「置いていく」として引かせない。あー、引かせればいいのに!!と強烈に思ったのだった。父はあの段階で死を覚悟していたと思うけど、息子に先があるとするならば。なんだこれ?と違和感を覚えた。
父は息子を鍛えなかった。だから、息子は最後まで「守られるべき子」でしかない状態のままだった。
自分が死ぬのに、子から生きる手段(大八車)と力(引く力)を取り上げてどうするんだ。それとも自ら手を下さずに、緩慢な無理心中を強いたかったのか? ……腑に落ちる。しかし気持ちが悪い。
父が息子に伝えた唯一のサバイバルの心得は、「己を善と思い、それを信じろ(火を運べ)」「人を信じるな」だけだった(ように見える)のも、父が息子を己の依存対象として留めるためだ(勿論そんなことを意図してすることではないが)ということで、腑に落ちる。父にとっては、息子が他の誰かと接触することは、依存対象としての息子の喪失に繋がりかねないから、最も避けるべきことだ。
また、息子が施しをしてあげられたのも、庇護される子という立場だったからだとも言えてしまう。息子をなんとしても絶対に庇護しなければならない父に、(息子の食料を犠牲にして)他人に施しを与えることは、出来なかった。
最後の 息子と男の問答と、息子が案外男にすんなり従ったのも、なんとなくナットクが行く。あくまで息子は「守られる子」だから。「子供がいるの?」と聞いたのも、友達が欲しいという以外に、そういう意味合いがあったのだろうと。その方が、「父ちゃん最初からいない方がよかったんじゃないか」と思うよりは、(少なくとも私は)心が安らぐのだけれども。
とても臆病な人々、普通の人々をよく描いた映画だった。ただ、爽快感はまるでなく、どんよりとした感慨だけが残る。後味は大変良くない。
でも、それは映画に文句をつけるところではない。そういう映画なんだから。よく出来てるし。
『人類皆殺し』の植物の中で太っちゃった女の人とか、『冬のこどもたち』のコッケードの性格が悪い!!ってことに文句言っても仕方がないように。
そんな感じ。