映画『横道世之介』

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横道世之介 (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋 (2012-11-09)
売り上げランキング: 323

横道世之介。一度聞いたら忘れられないその名前。
例によって何の映画か全く知らなかったので、驚いた!Σ(゚д゚lll)
160分間ひたすら明るくて楽しくてキラキラして輝いて温かくてういういしくて可愛くて懐かしくて微笑ましくてとてもとてもとても。160分間、その長さ、それだけ積み重ねることに意味がある映画でした。
あの人のこと、あの頃のことを思い出す時、悪いこともあったかも知れないけど、今は楽しかったことばかり思い浮かぶの。という映画なので、悪い面が描かれていないという批判は大変的外れなことに思える。この映画の主体は横道世之介自身ではなく、彼を思い出す友人たちなのだから。描かれているのは、友人たちが見た、心に残っている横道世之介の姿。だからこんなに暖かくて、きらきらしているのが、素敵に見えるのだ。
実際、文脈を読めば暗部の存在は自動的に観客の脳内には浮かび上がってくるようにできている。その省略の仕方がとても上手い映画。
人間関係的な事件も悪いことは省略されている。思い出したくない思い出は語られないし、楽しかった記憶だけが掘り起こされているのだから、それは当然のこと。読み取れるように行間にはちゃんと書いてあるのだ(彼女がなぜあの時点まであれを受け取れなかったのか、とか)。なんとなく疎遠になったり、喧嘩別れした友達でも、あんな風に「良かった思い出」だけを思い出してくれるなら、それはとてもとてもシアワセな関係だった、ということなんだから。そのために160分間。ひたすらに素敵なとてもとても楽しい思い出だけを積み上げていく。それが美しければ美しいほど、かけがえがないものであったと、今、思える。そういう映画。
でも、たとえば、「不動産ブローカー」「残土処理会社」という単語一つで、描かれていない空白の90年代に何があったのか、今ここにいる私たちには、はっきりと想像できるが、そんな風に観客が想起「しなければならない」情報が多くて、イマココ以外で通用することを自爆の勢いで棄てている。だが今はそれでいい。むしろそれがいい。ただ、こういった事柄は、文脈と切り離された時どう評価されるのだろう。将来的には、大量の注釈と共に語られる映画となるのかもしれない。
『東ベルリンから来た女』(素晴らしかった!)が今日本で説明不足と言われるように、『横道世之介』はそれよりももっと、「説明されていない」(が、今の私たちには自然にわかる)ことが多すぎる。でもそれを説明しては台無しになるんだよ。きっと『東ベルリン』も東独を知っている人からしたら、そんな感じなんだろうな。
本当にいい映画だった。